土の器

宮本牧師のブログ

息をするような祈り

この時間、さわやかな朝露のように、聖霊によって私のそばに来られる主よ。 今まで祈りという言葉を数百回、いえ、数千回以上も聞いてきました。祈りは霊的な武器であり、呼吸だということも、頭ではわかっていました。しかし、あなたが切に願い、命じられた、祈りの祭壇を建てることができなかった私を、お赦しください。 私の人生の主人であられる主よ。これからは、変わることができますように。 義務感ではなく、心から奥まった部屋に入り、静かに主に向かい。真の祈りの時を持ちたいと願います。聖霊様が、もうこれ以上は待てないと、私のたましいの奥深いところを目覚めさせられるのを感じます。主の御声が聞こえるようです。 「祈りは神が与えたくないものを、無理やり手にしようともがくことではなく、神が与えようとする祝福を、惜しみなく受け取れる通帳である。」 「祈りは人間の心を変える。祈りは人間を変える道具である。」 祈りについての預言者たちの言葉が、神の言葉のように聞こえるのは、聖霊の恵みです。かつては、祈りを座禅や瞑想のようなものだと思っていました。祈りが、生きておられる神に、私自身をささげることのできる、唯一の道だということを知りませんでした。わがままな幼子のように私の願いをかなえて欲しいと祈っていました。しかし、祈りは、あなたと私の関係をより深くするものであることを、ようやく知りました。 私のうめき声だけでも、私の心を読み取られる主よ。祈りが私のたましいの避け所であり、呼吸だということを告白します。目を覚まし、祈らせてください。 今年の初めに、「この一年がたくさん祈りましたと言える一年でありますように」とのお勧めをいただき、そう願った。しかし、振り返れば、祈りの欠乏を感じた日々が思い出される。新しい年を迎えるにあたり、聖霊がもうこれ以上は待てないと私の魂に触れてくださることを祈っている。