土の器

宮本牧師のブログ

あなたの御手のわざ

私たちは地のちりで作られた土の器に過ぎません。私たちには、イエスが何者で、自分が何者であるかがわかっているのでしょうか。ヨハネの福音書9章は、もうわかっている、見えているというところに罪が残るとの言葉で終わります。人は知っていると思った途端、成長が止まってしまうものです。ある分野のことをわかったと思うと、学ぶ意欲はなくなり、思考はストップしてしまうのです。信仰の世界も同じです。どうか、わかっている、見えていると言い張らない謙遜な心をもち続けることができますように。

作家の三浦綾子さんが書いた『道ありき』『土の器をも』『光あるうちに』は彼女の信仰的自伝の三部作ですが、作家としてのデビュー作『氷点』が朝日新聞の懸賞小説で一位入選が決まった夜のことが、『土の器をも』の最後に記されています。さすがに綾子さん少々浮かれぎみであったのですが、ご主人の光世さんは、夕方帰宅すると、綾子さんを呼んで、「よかったね」と言いながら、「感謝の祈りをささげよう」と言います。そして、祈りが終わると光世さんが言いました。「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾々は土から作られた、土の器にすぎない。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように。」

私たちも自分が土の器であることを忘れないようにしましょう。

「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」