土の器

宮本牧師のブログ

太陽を見ない三種類の人

仮庵の祭の直後、まだ多くの人で賑わっていたと思われるシロアムの池で起こった生まれつきの盲人の癒しは、すぐにエルサレムの住民の知るところとなりました。その日が安息日であったこともあり、元盲人は会堂に呼び出され、パリサイ人たちから事情を聞かれます。ヨハネはこのやり取りを長いスペースを使って記録します。両者の対話は、知っている、知らないというやり取りで展開しますが、元盲人は言います。「ただ一つ知っていることがあります。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」

『言泉集』第1巻「シロアムである主との出会い」にこう書かれています。「太陽を見ない三種類の人間がある。盲人、ねむっている人、頑固に目を閉じて、ことさらに見ようとしない人。」霊的な意味においても同じです。義の太陽であるキリストを見ない三種類の人、霊的盲人(未だ罪のうちにあって心の目が開かれていな人)、霊的にねむっている人(この世の神によって目を眩まされ、不信仰によって、霊的眠りに陥っている人)、そして、頑固に目を閉じて、ことさらに見ようとしない人です。

ヨハネの黙示録には、終末時代の教会の姿が次のように描かれています。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。・・・あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、盲目で、裸であることが分かっていない」と。そこで、あなたに勧める。・・・目が見えるようになるために目に塗る目薬、聖霊を求めなさい。」
聖霊、聖霊来てください。心の目を開いてください。