土の器

宮本牧師のブログ

アバ、父よ!

ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」という本を書いています。ナチズムについての深い考察がなされた名著ですが、フロムは自由になり過ぎると、人は自由の重荷に耐えかねて、(本来は束縛から「自由への逃走」と言いたいところですが)、かえって自由から逃走するのだと言っています。

戦後、日本をはじめ多くの先進国は、自由経済、資本主義を謳歌してきましたが、その重荷に押し潰されそうになっている現実を見ます。そうであるなら、自由から逃走して、いま私たちはどこに駆け込むべきでしょうか。

イエスは言われました。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたたちを自由にします。」どうすれば、前提は「わたしのことばにとどまるなら」です。みことばにとどまるなら、あなたは真理を体験的に知り、その真理はあなたにほんとうの自由を与えると言うのです。

イエスの言葉を聞いて、ユダヤ人たちはすぐに反論しました。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません」と。これは彼らの宗教的な自負です。歴史をふり返ってみれば、エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ローマなどの大国に絶えず支配されてきましたが、神の契約について言えば、アブラハム以来、ただ神にのみ仕えてきたというのが選民の誇りであり、ユダヤ人である以上、アブラハムの契約を受け継ぐ者であるとの自負です。

そこでイエスは「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」と、真理が何から私たちを解放するのかをはっきりと示されました。「罪を行っている者」、この「罪」は単数形で書かれていて、罪の力に支配され、罪の中に生きていることを指すもので、個々の律法に違反する罪とはちがいます。この罪の中に生きている限り、ユダヤ人であろうがなかろうが、罪の奴隷であるというのです。

さらに「奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでいます。ですから、子が(イエス・キリストが)あなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです」と語られ、真理が与えてくれるほんとうの自由とは、罪の奴隷であった者が神の子とされ、はばかることなく神に近づくことのできる自由であることが明らかにされています。

このイエスの言葉の背景には、アブラハムの二人の息子、妻サラから生まれた約束の子イサクと、女奴隷ハガルから生まれたイシュマエルの物語がありました。パウロもガラテヤ人への手紙の4章で、このたとえを用い、「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました(自由にしてくださいました)。」と教えています。

パウロは言います。「時が満ちて、神はご自分の御子を・・・遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが神の子としての身分を受けるためでした。PPそして、あなたがたが子であるので、神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。」真理が与えてくれるほんとうの自由、それは神さまを「アバ、父よ」と呼ぶことのできる自由なのです。