土の器

宮本牧師のブログ

フィナーレ

「祭りがもっとも盛大に祝われる終わりの日」とは、ユダヤの三大祭の一つである仮庵祭のフィナーレのことです。ユダヤ暦の新年に続いてもたれる秋の祭りである仮庵祭は、農作物の収穫感謝祭を兼ねていることもあって、エルサレムの町は通りも広場も神殿も、各地から祭りに上って来た巡礼者たちでごった返していました。

この祭りは水と光をテーマにしたものですが、ヨハネの福音書では、それぞれのテーマが7章と8章で印象的に描かれています。7章は水です。ヨハネは詳しい説明を割愛していますが、この祭りの期間、祭司たちは毎日、黄金の器を携えてシロアムの池に降り、イザヤの預言の言葉を唱えながら水を汲みました。「あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。主に感謝し、御名を呼べ」と。器に水を満たすと、祭司たちはそれをエルサレムの神殿に持ち帰り、祭壇に注ぎかけます。それはイスラエル民族が荒野の旅路で渇き、水を求めたとき、神が岩を裂いて水を流された奇跡の御業を記念するためのものでした。

彼らは祭壇に水を注ぎながら、詩編105編の御言葉を唱えました。「主が岩を開かれると、水がほとばしり、大河となって、乾いた地を流れた」と。ユダヤの伝承では、祭りが最も盛大に祝われる終わりの日には、祭壇に水が注がれる時に、祭司が二つのグループに別れ、祭壇の周りを巡りながら一つのグループは神の御名を唱え、もう一つのグループは「ホサナ!(今、救ってください)」と唱えたと言います。祭司たちの呼び交わす声が神殿に響き渡り、祭りが最高潮に達した時でした。一瞬の静寂を破り、イエスが立ち上がり大声で叫ばれました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(今、神殿においては岩から流れ出た奇跡の水を記念して、厳かな儀式が執り行われているが、あなたがたの先祖が荒野で飲んだのは、わたしから飲んだのである。わたしこそ、救いの岩、命の水の源である。

それはシンボルが実体に入れ替わるような、実にドラマチックな出来事でした。 キリストご自身のうちより生きた水である聖霊が流出することは多くの人の知るところですが、イエスを信じる者のうちより、聖霊の流出が起こることを知っている人は必ずしも多くはありません。しかし、聖書を開かれた目を持って読むなら、イエスを信じる者のうちより、生きた水である聖霊が流れ出ることが、ここにはっきりと記されています。この真理に導かれていることを主に感謝します。