土の器

宮本牧師のブログ

まことの食物

イエスが語られたいのちのパンに関する説教も結論の部分になります。実際は、イエスの後を追いかけてきたユダヤ人の質問から始まり、彼らの反応や言葉が挿入されているので、説教と言うよりは対話という形ですが、イエスはここでいのちのパンという重大なメッセージを語られたのです。

イエスが「わたしは、天から下って来たパンです」と語られるに及んで、ユダヤ人はつぶやきました。そんな彼の反応は、まるで出エジプトの時、マナを食べてつぶやいた先祖たちに似ています。さらに、51節で「わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と語られると、彼らのつぶやきは反発になります。52節、彼らは「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と、激しい議論を始めたのです。彼らは、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」というイエスの言葉を、完全に誤解してしまいました。群衆だけではありません。弟子たちも、「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか」と言って、つまずいてしまいました。

ここでイエスが語っておられるのは、当然、信仰の世界のことです。肉を食べ、血を飲むとは、過激ではありますが、一つの文学的な表現です。それを食べ、それを飲む者が、私の内におり、私もまたその人の内にいると言われていることからも明らかなよう に、キリストとの一致という、霊的な真理を表す比喩的な表現なのです。肉を食べる、血を飲むという余りにもショッキングな表現のために、それに続く霊的な真理を見落とさないようにしなければなりません。私たちのいのちとなるために、十字架で自らを与え尽くしてくださったキリストこそ、私たちの霊的なまことの食物なのです。