土の器

宮本牧師のブログ

Believe into Him

イエスの言葉に耳を傾けましょう。
「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」 ここで言われている要点は、朽ちていく食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物、すなわち、人の子(キリスト)があなたがたに与える食べ物のために働きなさいということですが、ここで使われている「働く」という言葉には、追求しなさい、得るために努力しなさいという意味があります。
イエスの言葉が思い出されます。「だから『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。・・・(朽ちる食べ物のためではなく)何よりもまず、神の国と神の義(いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物)を求めなさい。(これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。)・・・求めなさい。そうすれば、与えられる」と。
ところがこの言葉を聞いたユダヤ人たちは、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」とイエスに聞き返します。彼らは、「働く(追求する)」ということをモーセの律法を行うことだと理解したのです。実際、彼らが使った「神の業」とは複数形であり、彼らは、あの律法、この律法、何をしたらよいでしょうかと言っているのです。 イエスの答えはこうです。「神がお遣わしになった者(イエス・キリスト)を信じること、それが神の業である。」ここでイエスが使った「神の業」は単数であり、一つだけであることが強調されています。神の業とは、あれやこれやではない、一つしかないということです。それは、神がお遣わしになった者(イエス・キリスト)を信じることです。
また、ここで言う「信じる」とは、英語であれば「Believe into Him」という表現で、これもヨハネ福音書の特色の一つです。この表現は、イエスを神の子メシアと信じ、この方の中に自分の全存在を投げ込み委ねることを意味します。パウロがその書簡の中で「キリストにあって」「キリストに結ばれて(接ぎ木されて)」と表現している現実を、ヨハネは神が遣わされた者を信じることと言っているのです。

*聖書は「新共同訳」を使っています。