青天の霹靂
新約聖書は、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネと四つの福音書が最初の部分に並べられています。はじめの3つを「共観福音書」と言い、それに対して、ヨハネだけは別扱いで「第四福音書」と呼ばれたりします。共観福音書は、同時代にあて先を異にしたメッセージと言えますが、ヨハネの福音書は、少しあとの時代に他の3つとは趣を異にして書かれていると言えるでしょう。ヨハネは、紀元90年頃にこの福音書を記したと考えられていますが、だとすれば彼はすでに80歳、90歳近くになっていたでしょうか。白髪の老人です。そのヨハネが、もう半世紀以上も前のことを、思い出しながらと言うよりも、これまでの長い信仰体験を通して深められたイエスの言葉と業に新しい息吹を吹き込みながら記したのが「ヨハネによる福音書」です。
初代キリスト教の教父たちは言っています。「物理的ないろいろな事実はすでに諸福音書に記録されていることを知って、ヨハネは弟子たちに励まされ、御霊に強く動かされて、霊的な福音書を書いた。」「これは、みずからイエスの御胸に寄りかかったことのない人には意味が理解できない」と。
1章の1節から18節までが、全体のプロローグになりますが、1節は実に印象的です。ぜひ声に出して読んでみてください。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
青天の霹靂とはよく言ったものです。若い頃、「雷の子」とあだ名を付けられていたヨハネですが、開口一番、まるで雷鳴の轟きのような声を響かせます。彼は「私が今から書こうとしているは、私が伝えたいのは、このお方なのです」と言わんばかりに、何の迷いもためらいもなく語り始めます。「初めに言があった」と。
ここでヨハネはキリストのことを「言」と呼んでいます。ギリシャ語の「ロゴス」という言葉ですが、永遠の初めから、すでに存在しておられた神の子イエス・キリストを、ヨハネはこう呼んだのです。彼は黙示録においても、「王の王、主の主」と呼ばれるキリストについて、「その名は『神の言』と呼ばれた」と証し、書簡においても、真っ直ぐに語ります。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。命の言について」と。
今週も大切なことを大切に。